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2008年2月

ルリ2

 猫ちゃん、どうしたかしら?
 私は帰宅の足を急いだ。今夜も寒い。生まれたばかりの子猫の安否がどうしても気になったのだ。アパートに着き、自転車置き場を見ると、黒い人影がうずくまっている。具合でも悪いのかしらと思ったけれど、あまり関わりたくなかったので、私は用心してその脇を通り過ぎようとした。
 ミャー。昨夜のか細い鳴き声がした。消え入りそうな鳴き声は、うずくまった人影の方から聞こえる。人影を除けて猫ちゃんを確認しようとしたとき、その人は振り向いた。男の人?立ち上がったその男の人の手には、小さな薄茶色が震えていた。
「かわいいよね。」
男は、25、6歳かしら。大事に猫ちゃんを抱え、笑って見せた。
「はあ。」
「かわいそうだよね。」
「はい。」
猫ちゃんを両手で温めるようにさすりながら、やさしい目をして言った。
「俺の部屋に連れて帰るよ。」

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ルリ1

 私は、何があっても腹を立てない人間、というわけではない。そんなに高尚な訳がない。怒ることができない人間、というわけでもない。臆病なだけである。今怒ったら、すべてを無くしてしまうと分かっているから。だから今は、我慢するしかない。平気な顔をして、理解あるふりをして、我慢するしかない。

 あれは、2年前の冬。12月に入ったばかりだったかしら。仕事から帰ると、アパートの自転車置き場で小さな鳴き声がするの。見ると、本当に小さな子猫が震えるか細い声で鳴いていた。お腹がすいているのかしら?まだ生まれて間もない様子なのに。親猫はどうしたのかしら?どうして、たった一匹、こんなところに居るの?
 手のひらに乗りそうなほどの薄茶色な子猫。その真っ黒な瞳は、痩せた体のせいか一層大きく見える。部屋に連れて行きたいけれど、アパートではそれができない。後ろ髪引かれる思いで、子猫をなるべく風の通らない場所に置いて、私は部屋の鍵を開けた。

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明来6

 私は和哉の部屋をあとにした。帰り際に目の中に飛び込んできた、コップに放り込まれた二本の歯ブラシが、いつまでも頭から離れない。そして、くわえタバコで話す和哉の姿を思い出しては、六年という年月の長さを痛感していた。

 それから、何度か和哉にメールを送ったけれど、返事は一度も戻って来なかった。なぜか和哉との距離を感じて、部屋をたずねることはできなかった。
「魔法は、かからなかったわ。」

 今日もネットのメンバー募集のサイトを検索してみる。
 音楽、やらなくちゃ。これ以上、和哉と隔たらないように。私を、見失わないように。

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明来5

 私と和哉は兄妹役であった。優等生の和哉には不似合いな乱暴者のお兄さん役。
 そのお兄さんは塗り絵が大好きで、いつも妹の色鉛筆を黙って持ち出しては塗り絵をしていた。でも、あまりに乱暴な使い方をするし黙って使われるので、怒った妹は色鉛筆を隠してしまう。 そんなとき、兄は一人の不思議な老人に出会う。そして、老人から『魔法のことば』を教わるのだ。
 兄は『魔法のことば』を使ってみる。すると妹は素直に色鉛筆を貸してくれる。

 その劇は、私の心に強く残っていて、それからも時々『魔法のことば』について考えることがあった。お兄さんは、たったひと言、「色鉛筆を貸してくれないか?」と言うだけなのに、その言葉にはもう魔法がかかっていて、妹はしばらく兄の目を見つめる。そして色鉛筆を差し出す。

「また、昔のように過ごせないかしら?」
私は、魔法のことばを使ってみた。

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明来4

「うん。俺 、ドラムス。高校でフォークとロックやって、今は大学の『ジャズ研』に入ってる。おまえもまだ、音楽やってるの?」
「私……、やめちゃった」
 和哉はアパートにドラムを持ち込めないのがつらいと言う。狭い四畳半には、ドラムスティックだけが転がっていた。その手あかのついたスティックは、和哉と離れていた時間の長さを感じさせた。六年間、ずっと音楽と接し続けてきた和哉。私の知らない時間がそこにある。和哉がどんなに充実した生活を送ってきたかは、素敵になった和哉が物語っていた。
「確かに私、変わってないわね。」

「ねえ、和哉。昔、『魔法のことば』っていう劇をやったのを覚えている?」

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明来3

 「『スパゲティ・ミートソースの作り方』すごいわね。ちゃんと料理するのね。」
「おふくろが書いてくれた。ほかに、おふくろの味のみそ汁の作り方も書いていったよ。」
「そう。おばさまの文字と和哉の文字ってそっくりね。おばさま、お元気?」
「元気だよ。」
「そう。懐かしいわ。」
 小学生というと本当に幼くて、何も分からない子供時代であると思ってしまうのは、自分の子供時代を忘れてしまった大人の考えである。今、当時を思い返してみると、かなり自我も発達し、異性を意識することもあったし、幼いなりにも自分の人生を生きていたように思える。
 私と和哉とは3年生から同じクラスで、私が6年の11月に転校するまで、同じ放送部員として活動していた。他に二人の放送部員がいて、四人はとても仲が良かった。私にとって和哉たちと一緒に居る時間は、とても大切なものだった。
 「ピッコロ、よく一緒に演奏したね。」
「おまえのDJに合わせて俺がレコード回して、すごい小学生だったな。」
「優秀な放送部だったものね。……今でも、音楽やっているの?」

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明来2

 「池袋よ。」
「うん、降りるぞ。」
「自分の部屋、ちゃんとわかっているの?」
「あたりまえだろ。」
「よく言うわ、酔っぱらい。」
「もう醒めてるよ。」
「6年振りね。」
「6年半だよ。」
「再会してみたら、お互いに大学生になり、下宿とはいえ同じ東京の空の下。すごい偶然ね。」
「ああ。おまえ、小学生の時から全然変わっていないな。」
「そうかしら。」
「変わってないよ。ここだよ、俺の部屋。」
「池袋駅から5分か。いいところね。」
「でも、ぼろ屋だよ。」

 和哉の部屋は古い建物であったが、男性の部屋にしてはきちんと整頓されていた。下宿人は大学生ばかりではないらしいが、男性だけのアパートであるという。そんな和哉の部屋を私が訪ねることになったのは、ついさっきまで浴びていた酒に和哉が酔ってしまったからだ。そして、酔った和哉を送っていくのは同じ方向に帰る私の役目となった。
 6年振りのクラス会は楽しかった。小学生時代、いつも一緒にいたいと思っていた和哉と、またこうして同じひとときを過ごせるなんて、考えてもみなかった。髪を少し伸ばし、眼鏡をかけ、スーツを着た和哉は大人になったけれど、さっき電車を待つ駅のホームで、自分の上着を私に掛けてくれた、そんな優しさは昔のままだった。

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明来1

 浅い眠りを覚ましたのは、豪雨であった。二時半。夜汽車にゆられ始めてから五時間余りが過ぎていた。汽車は停車しているようである。私は、ぼんやりと「高田」の文字を確認していた。そしてまた夜汽車は、北の海へ向けて滑り出した。

 金沢で、朝八時発の輪島行きの列車に乗り換えた。金沢から輪島に向かって能登を北上するのであるから、海が見えるのは右側の座席である。右側の座席に荷物をおろし窓際に寄りかかった。私の乗った一号車は、たった四,五名の乗客を乗せて走ってゆく。線路のすぐ両脇を囲んでいた景色は、一時間を走り続けた頃、片側を海に変えた。日本海も内海は穏やかで、厚く広がった雲の隙間から光の差し込んだ部分だけ、海はオレンジ色に輝いていた。

 東京は、大学生活最後の学園祭シーズンを迎えているはずである。リクルートカットの学生たちも、最後のお祭りとあっては就職難もそっちのけで浮かれているのであろう。そんな騒ぎに背を向けて、私は旅に出た。頬にかかる髪をかき上げ、移り去る静かな海を見つめていると、まだ大学生活が始まったばかりの春が思い返された。

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